シドニーの歴史

シドニーの囚人に関する歴史は、街のメインショッピングエリアの近くにある世界遺産のハイド・パーク・バラックス博物館で詳しく知ることができます。シドニー・ハーバーのトライバル・ウォーリアー・クルーズといった遺産ツアーは人気のアトラクションで、街の豊かな歴史を紐解くことができます。

ザ・ロックス・ウォーキング・ツアーは街の最も歴史ある地区の過酷な植民地の歴史をたどります。場所はシドニー・オペラハウスから歩いて行ける距離にあります。シドニー博物館では、ファースト・フリートの船の模型が見られます。シドニー西部のパラマタにある、12人の初期植民地総督の邸宅であった旧州知事公邸(Old Government House)を見学しましょう。

ウォータールーの英雄、ザ・ロックス
フォート・デニソン、シドニー・ハーバー国立公園

シドニーの史跡と歴史を発見

シドニーは、アーサー・フィリップ船長とファースト・フリートが1788年1月にこの地に到着した際に、英内相であったシドニー卿にちなんで名づけられました。手紙の中で、フィリップはシドニー・コーブの植民地は「世界一美しい入り江を持ち」、「数千の船が最も安全に停錨できるであろう」と述べています。

アボリジニはこの入り江とより長いつながりがあり、それは少なくともフィリップがシドニー・コーブをオーストラリア発の囚人流刑地とした時から、さらに50,000年前にさかのぼります。その当時、1,500人以上のアボリジニがこの前浜で生活していました。

植民初期は過酷なものでした。4人の総督が務め、ラム酒の反乱として知られる軍部の反乱が起った後、ラックラン・マッコーリー総督が赴任しました。彼は治安を回復し、自由社会としてオーストラリア初の州であるニューサウスウェールズ州のために新たな方針を定めました。

マッコーリーは優れた建設者で先見の明のある人物でした。川や湖、銀行や大学、さらには辞書まで、彼にちなんだ名前がつけられています。1830年代まで、シドニーはヨーロッパへ羊毛を輸出する商港としてにぎわっていました。

英国からの囚人の移送は1840年に終焉を迎えました。1850年代にはゴールドラッシュが始まりました。エドワード・ハモンド・グレーブズがカントリーNSWのバサースト近郊で1851年2月に初めて採算の取れる金鉱地を発見したと言われています。1870年代までにオーストラリアの人口は3倍にまで増加しました。

移民がシドニーを世界で最も民族的に多彩な都市の1つに変えました。180か国以上の国籍の人々がこの街を故郷と呼びます。シドニーの歴史について、博物館や遺跡、カルチャーツアー、マッコーリー・ストリートにあるニューサウスウェールズ州立図書館でさらに深く知ることができます。